vol.14「相談について〜自己を客観視する〜」

こんにちは!

 
今日は、「相談」について述べていきたいと思います。
 
まず初めに。
人は、なぜ他人に物事を相談するのでしょうか。
 
私は、それは主観には限界があるからだと考えています。
 
相談するということは、すなわち客観的な意見を取り入れる、ということです。
自分の考えている主観の範囲に限界がきた時に、人は抱え込めなくなり人に相談するわけです。
 
よく相談した際に「そんなの簡単な話じゃん」と一蹴する人がいます。
相談した側は、「確かに」とその場では納得します。
「なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」と。
 
しかし、これが相談することの意味なのです。
 
自分が認識している範囲では、物事の本質が見えにくくなっているのです。
様々な要素が邪魔をして盲目的になってしまっているので、
相談をして客観的にシンプルな道筋を示してもらうことは非常に意義深いものなのです。
相談した甲斐がある、と言って良いでしょう。
 
逆に、人に全く相談しないという人もいます。
以前の私がまさしくそうでした。
 
人に相談しないということは、自分自身で全てを解決できるとも言えますが
私から言わせれば、それは非常に危険なことでもあると思うのです。
 
パターンとしては2つあると思っています。
 
一つは、自分自身を分離して極限まで客観的に自己を捉えられる人。
もう一つは、主観の中でしか物事を考えられない人です。
 
後者が危険です。
自己の相対化ができないので、絶対的な判断になります。
それはそれである種素晴らしいのですが、他者との協働という意味では、衝突が生まれやすいと思います。
 
絶対的権力者がまさしくそうですが、
私は相対的権力者(他者への相談を厭わない権力者)を目指したいと思います。
 
本日は以上となります。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん

vol.13 「情報化社会がもたらしたもの〜人間の3タイプ〜」

こんにちは!

 
今日は、こんにちの情報化社会がもたらしたものについて書いてみたいと思います。
 
20世紀後半の情報革命によって、私たちは沢山の情報に囲まれて生活するようになりました。
一説によれば、世の中に溢れている情報の数は、世界の砂粒の数と同等程度、もしくはそれ以上だとも
言われています。
 
また、SNSの発達によって、「仲間ごと」という新しい概念が生まれました。
私たちはマスメディアが発信する情報だけでなく、仲間が発信する情報にも
触れられるようになったのです。
 
沢山の情報に触れられるということは、それだけ自分の持つ世界観を拡張することにつながります。
少し興味をもった職業や、芸能人がいればすぐにネットで調べて詳しく理解することができます。
ツイッターを見れば、仕事で充実している友達を見ることもできます。
要するに、他者や世間と自分自身との相対化が日常的に且つ無意識的に行われるようになりました。
 
ここで、私は疑問に思うのです。
果たして、世界観を広げること、すなわち相対化は人を幸せにするのでしょうか。
 
「もっと世界を知れ」
「世の中の情報をしっかり取り入れろ」
これらの指摘は果たして万人が皆すべきことなのでしょうか。
 
結論から言えば、私はそうではないと思います。
世界を広げたいなら広げればいいし、広げたくないなら広げなければ良い。
そして広げたならば、その分だけ理想は広がり虚無感や無力感を感じる可能性もあるということ。
 
具体的にみてみます。
例えば、都市から離れた地方には、マイルドヤンキー的な人がいると思います。
高校を卒業したらすぐに就職、20歳前半で結婚をし、子供も作り家庭を築く。
彼らは世の中の最先端には疎い。そもそも地方にはそうした最新の情報が届きにくいから。
そんなマイルドヤンキーを思い浮かべられると思います。
 
彼らは私からしてみれば情報弱者です。
世の中の動きなんて全然把握していないし、便利な最新アプリなんかも知らない。
SNSもそんなに見ていない。
結果、彼らは視野が狭いし、視界も低い。
 
でも大切なのはここです。
彼らは幸せなのです。
別に誰にも迷惑をかけていない上に、この上なく幸せなのです。
 
逆に、最先端の情報に触れ続けている私の方がよっぽど不幸せだと思います。
世の中のすごい人の情報に触れたり、
友達同士で楽しく遊んでいる写真を見たり。
「はあ、自分なにやってんだろ。。」と嘆くことも少なくありません笑
 
ある貧困の国に住む人がこう言ったそうです。
「あなた方が現れるまで、私たちは自分たちが貧困層だということを知らなかった」。
 
情報化社会へ飛び込むこと、飛び込ませることは
よっぽどそこで生き抜いていく強い精神力と、忍耐力がなければ
ただ単に相対化の機会を与えるだけで、幸せにはなれないのです。
 
むしろ、そうした情報弱者、マイルドヤンキーに対して
「何も知らないんだな」と促してくる人間は、
情報化社会の中で自分の地位を少しでも高く見せたいが故の行動なのだとも思えてきますね。
 
そう考えると、世の中の人は3タイプに分かれると思います。
=========================
①情報覇者(情報強者、幸福強者)
②情報難民(情報強者、幸福弱者)
③情報断人(情報弱者、幸福強者)
=========================
 
③もしくは①が最も幸福度が高いと思います。
しかし、①になるのは並大抵のことではありません。
もしかすると③の人は、早々に諦めをつけて、且つそれが幸せにつながると信じて
自ら情報を拒絶しているのかもしれませんね。
 
ただ、③にも弱点があります。
環境の変化に弱いのです。
環境の変化の少ない地方だからこそ、こうした③の人が沢山いるわけですが
地方にも変化の兆しが訪れるのも、そう遠くはないでしょう。
 
そう考えると、情報革命によって幸せになるのが
非常に難しくなってしまったとも考えられますね。。笑
しかし、時代の流れは止められません。
この時代の中で生きていくしかないのです。
 
本日は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん
 

vol.12 「私の起業について〜NaniMonoの思想〜」

こんにちは!

 
今日は、私が今考えている起業についてお話します。
 
私は数年以内に起業したいと思っています。
理由は大きく3つです。
 
①生きた証を残したい
②自分の組織を持ちたい
③沢山のお金を稼ぎたい
 
まず①ですが、私は大手企業に2年勤めていますが、毎日決まった仕事を行っており、ふと
「この仕事は私じゃなくてもできるな」と思うようになりました。
学生時代まで持っていた、私自身の個性が死んでしまっている感覚もありましたし
誰かが作ってくれたビジネスモデルの中で、それを実行していくだけの人生(社員)に違和感を覚えました。
 
「私にしかできない社会貢献をしたい」と思うようになったのです。
それはきっと自分が生きた証になるでしょうし、自分の思想が残り続けている限り
私自身は死なないと考えました。
これが①です。
 
次に②ですが、私は学生時代組織のヒエラルキーのトップにいました。
部長、主将、代表。
組織のトップがどうあるべきが、わきまえているつもりですし、
何より組織のトップとして組織を動かしていく感覚は何より楽しいです。
今の会社も本当に素敵な会社ですが、心のどこかで
「自分ならもっとうまく組織を動かせる」という自身がありました。
 
普通の会社員であれば、昇進した末に社長になるのにも
早くても十数年、長ければ数十年はかかるでしょう。
そんなには待てない、と思ったのです。
もっと早くから自分の組織を持ちたい、と思いました。
 
最後に③ですが、シンプルに言ってしまえば
私には行きたい場所や、したいこと、欲しいものが沢山あります。
何事にも好奇心をくすぐられる性格ですので、いろいろと「してみたい」のです。
一度、それらを全て書きだしてみたことがあります。
当然、私の心持ち次第でできることもありましたが、多くのことが”お金”を必要とするものでした。
そこそこの給料ではこれらは実現できないと思ったのです。
ですから、自分で起業してお金を稼ぎたいと思いました。
 
これら三つが私が起業したい理由です。
 
 
では、ここからは私が現在考えている事業プランについてお話をします。
 
端的に言ってしまえば、私はCtoCのアウトプットのプラットフォームを作りたいを思っています。
イメージとしては、掲示板とブログの中間のようなものだと思ってください。
 
まずは私はこの事業を作りたいと思った理由からご説明します。
 
私は、今の会社でなかなか成果が出ず、出社することが苦役になってしまった感覚があり
体調を崩した時がありました。
「自分はもっとできるはずなのに。。」という焦燥感がありました。
学生時代からの自分を否定されたような気持ちになり、自分自身を見失いました。
 
その時、カウンセリングの先生の発言や、『ゼロ秒思考』という本の内容を思い出し
自分が今考えていることを、書きだしてみようとブログを開設しました。
もともと文章を書くことは好きでしたので、趣味的な感覚で始めようと思いました。
 
ブログを書き始めてみると、自分の考えがどんどん整理されて
すっきりしていったのを覚えています。
そして、衝撃的だったのは、書きだしながら一生懸命整理しようと思考していた点です。
 
よく、インプット→スループット→アウトプットと言いますが
私が感じたのは
インプット→アウトプット(スループット
です。
「もっと考えろ」というようなFBに苦手意識をもっていた私は、アウトプットすることを毛嫌いするようになっていました。
 しかし、何も考えずにアウトプットすること(=ブログを書く)をしてみた結果、
 アウトプットしながら全力でスループットしている自分に気がつきました。
そうすることで、自分がどんな人間か、その輪郭がつかめた感覚があったのです。
 
というわけで、ブログの下書きを終えた私は、「公開」ボタンを押しました。
これで全世界に私の考えを発信したわけですが、当然このブログにアクセスする人などいません。
私がSNSなどで拡散しない限りは。
しかし、私は拡散することができませんでした。
「書いている内容について批判されたり、嘲笑されるのでは」と不安になったからです。
私自身をこのブログで評価されてしまうのではないか、と思ってしまいました。
 
この時気付いたのは、自分の考えを書いたブログなどを拡散できる人は
・よほど自分の考えに自信があって自己顕示欲の強い人
・周囲からの評価を一意見として素直に取り入れられる人
のどちらかだなと思いました。
 
私の場合は、自分に自信がありませんから前者には該当しませんし
周囲からの評価を、自分自身が否定されていると錯覚してしまう体質ですので後者にも該当しません。
ある意味では、非常に日本的な人間なわけです。
特に後者については、心理学用語で「脱・同一化」というものがありますが
これができないと、うつ病などにもなりやすいみたいです(まさしく私がそうです。。笑)。
 
結果、私のただの整理のための用途としてブログを書くことになってしまったわけですが
心のどこかでは、「私のこのアウトプットは周囲からはどう思われるのだろう」という興味がありました。
つまり、批判されると「脱・同一化」ができず落ち込むくせに、アウトプットについての周囲からのリアクションはほしい
という気持ちだったわけです。
自分の書いたブログをSNSなどで拡散すれば、このブログは大塚が書いたものだと認知されてしまいます。
例えば掲示板などに自分自身の考えを書いたとすれば、匿名性は担保されますが、
 批判している人がどんな人で、どんな思考の持ち主なのかは判別がつきません。
何より、掲示板は「暇な人がやるもの」「批判が横行する」というイメージもありました。
 
まとめるならば
・大塚が書いたものだとばれずに
・世間の目に意見がさらせて
・且つそれに対する意見者のパーソナルがある程度わかる
という正当な意見交換のできる空間・プラットフォームが欲しいと思ったのです。
 
必要な情報は
・職業
・年齢
・性別
・経歴
・性格(思考、趣味、特技)
です。
当然、名前は要りませんし、個人を特定できるような情報も必要ありません。
「脱・同一化」のできる、賢者であれば自身を特定できる情報を記載しても良いと思います。
 
そんなわけで、ブログでも掲示板でも、SNSでもない
”意見交換のできるアウトプットのプラットフォーム”を作ろうと思いました。
 
そしてこのアウトプットのプラットフォームの構築に関しては
時代の追い風もあると考えています。
 
私が「自分は何者なのだろう」と悩んだように
世の中に確固たる自分自身を持てている人はそんなに多くないのかと思います。
それは情報革命により、沢山の情報がながれ、沢山の選択肢に囲まれたがゆえに
「自分で決めていく必要性」が生まれたためだと考えます。
 
一昔前であれば、家業を継ぐであるとか、専業主婦になるといったように
社会的風潮からしても選択肢はそんなになかったと思います。
しかし、情報化、IT化の中で、沢山の職業が生まれ、沢山の生き方が生まれ、そうした沢山の情報に囲まれるようになりました。
SNSの普及で、自分ごとと他人ごとの間に「仲間ごと」が生まれたことで、周囲との相対化の機会が必然的に生まれました。
それらが、自己効力感の喪失など精神疾患を沢山招いている要因でもあると思うのです。
 
長くなりましたが、情報があふれすぎている現代では
「自分自身が何者なのか」がわかりにくくなっているということです。
沢山の選択肢があるということは、幸せなようで「悩み」も沢山生んでしまっているということですね。
 
私はそんな「自分自身が何者なのか」がわからず悩んでいる、かつての私のような人の力になりたい。
なぜなら選択肢が沢山あるということは、決して不幸なことではないし
そんな時代に生まれたことはもう変えようもない事実なのだから。
 
「自分自身が何者なのか」
それを見つけるには、アウトプットしかないと私は思います。
アウトプットとは、外在化ということです。
話してみる、書き出してみる、行動してみる。
先述したように、アウトプットする過程で人間であれば全力のスループットが行われます。
頭が整理されるということです。
 
そして外在化でもより効果的なのは
他者の目に触れさせるということです。
人に理解できるように話す、書きだすということは、それを意識しないときよりも
何倍も頭を使います。より整理されるということです。
私はそんな空間・プラットフォームを作ります。
 
ここまでをまとめると
①情報化、IT化の時代の中で、「自分は何者か」がわかりにくくなっている
②周囲へのアウトプットによって、「自分は何者か」が明確になってくる
 ということです。
 
このプラットフォームは『NaniMono(仮)』と名付けようと思っています。
このNaniMonoによって期待できるのは、「自分自身が何者か」が明確になるだけではありません。
 
あなたのアウトプットは、それは誰かにとってのインプットにもなります。
アウトプットプラットフォームでありながら、インプットプラットフォームにもなるのです。
ここで大切なのは、あなたの情報です。
匿名で年齢も性別もわからない人の意見よりも、それらの情報がわかっていた方が
その意見の深みが増します。
例えば、ベンチャー企業にしか在籍したことのない人の言う
「大手企業に就職すべきではない」という発言と
ベンチャー企業も大手企業も経験した人の言うそれとでは説得力が違いますよね。
 
大切なのは、あなた個人を特定する名前ではなく
あなたを構成するそれ以外の要素(職業や経歴など)なのです。
 
名前を公開しない以上、自信をもってあなた自身をアウトプットすることができるはずです。
そのアウトプットはまぎれもない、あなた自身です。
先ほど、アウトプットのプラットフォームであると同時に、インプットのプラットフォームでもあると
書きました。
NaniMonoによって、あなた自身(=あなたのアウトプット)が世間に登場したことによって
あなたを求めている人があなたにアクセスできるようにもなるのです。
 
例えば、思春期で子どもの教育に困っている母親がいたとして
その経験をした別の母親からアドバイスをしたいと望んでいるとします。
これまでの社会だと、アドバイスをもらうには
・ネット上の記事
・出版されている本
・知り合いのママ友
にアクセスしていました。
 
しかし上記2つは、限られた人しかアウトプットしていません。
ネットに詳しかったり、本を出版するぐらいの有名な人です。
そうした人からは一方的なインプットは可能ですが、何か疑問や聞きたいことがあった時に
それらを解決することができませんでした。
三つ目のママ友ですが、確かに双方向のコミュニケーションは可能ですが
そもそもそんなママ友がいなければ、それは成り立ちません。
 
NaniMonoによって多くの人がアウトプットする文化が根付けば
これまで世間に現れていなかった多くの人にアクセスすることが可能になります。
私たちが求めているのは、本やネットに記事などを書く、劇的に成功を収めた人ではなく
「もっと普通の、自分に近い経験や思考をもった人」の話だと思うのです。
 
NaniMonoによって実現したい社会は
『全ての人が、誰かのために生きている』
という、貢献感を実感できる社会です。
 
ここまでをまとめます。
①情報化、IT化の時代の中で、「自分は何者か」がわかりにくくなっている
②周囲へのアウトプットによって、「自分は何者か」が明確になってくる(NaniMonoの構築)
③アウトプットによって、それをインプットできる人が現れる、そこにアクセスできる人が現れる
 
アウトプットすることによって得られるメリットは
・自分が何者かが明確になる(自己理解)
・誰かにとってのインプットになる
→自分を求めている人からのアクセスがくる(他者貢献、社会貢献)
です。
 
 
「もっと自分の好きなことを発信しなさい」
「ブログを書きなさい」
「好きなことだけしなさい」
など、最近ではアウトプットの重要性が高まってきていると思います。
確かに現代人はインプット過剰になっていることに気づいていません。
 
しかし、アウトプットの場がない、もしくはどれにすれば良いかが分からない、という人も多いのではないでしょうか。。
NaniMonoはそんな人のために場所になれば良いと思います。
そして、より世の中の人同士のコミュニケーションが活発になり
より効率的で、より先進性のある日本にしていければ良いなと思います。
 
本日は以上となります。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん

vol.11 「積み上げ思考と逆算思考〜情報革命がもたらした影響〜」

こんにちは!

 
今日は、積み上げ思考と逆算思考について考えてみたいと思います。
 
まずそもそも積み上げ思考とは、物事の「今」に着目し、その時々でのベストを尽くす思考法です。
一方の逆算思考とは、物事の「未来」から逆算し現状の行動を決めていく思考法です。
 
私が思うに、積み上げ思考も少なからず逆算的に思考することもあるはずで
両者の違いはその時間観だと思います。
逆算思考の方が、より遠くの未来から考えるのだと思います。
 
こうした大きく2つの思考があるわけですが
私は結論から言えば、今の時代は積み上げ思考で生きた方が幸せになれると思います。
 
理由はシンプルで、将来が不確定な時代になってきたから、です。
 
約1万年前に起きた農業革命、18世紀に起きた産業革命、そして現代の情報革命。
その中でも情報革命に関しては、あらゆる人があらゆる情報をアウトプットし、インプットすることができるようになりました。
これはやはり本当に大きな変化だと思います。
 
これにより、イノベーションが加速したことは言うまでもありません。
結果、商品・サービスの短サイクル化が起き、10年前とは様子が一変するような時代になりました。
わかりやすい例で言えば、10年前にスマートフォンが携帯電話を駆逐する日が来るなんて誰も予想できなかったはずです。
私も友達がApple社のiPhoneを持っていた時には、「携帯の方が便利だ」とぬかしておりました笑
 
とにかく、将来を予測することが限りなく難しくなっているのがこの時代です。
 
そうした時に、例えば死ぬまでのキャリアを描いて、そこから逆算して意思決定していくのは無意味だと思うのです。
40歳で⚪︎⚪︎という会社のCEOになりたいから、まずはこの会社で〜〜の経験を積む。
もし⚪︎⚪︎という会社が倒産してしまったら、〜〜という会社での経験は無駄になってしまいませんか?
 
リスクヘッジのために、いくつかの可能性を予想して選択する、というのもアリかもしれませんが
大切なのは「今の幸せ」を追求し続けることだと思います。
言い換えれば、遠い将来のために今の幸せを犠牲にするのは本当にもったいないということです。
 
嫌いなこと、苦しいこと、怖いこと、辛いことなど
ネガティブな感情のものに時間を費やしている暇はないと思うのです。
理由は大きく二つあります。
・ネガティブを乗り越えた先に幸せなことがある保証などどこにも無いから
・ポジティブな感情で取り組む方が高いパフォーマンスが出せるから
 
先述したように、今は数年先の将来すら予測できない時代に突入しています。
ゆえに、忍耐力は必要ないと思うのです。
また、好き、楽しい、ワクワクするなどポジティブな感情で取り組む方がパフォーマンスが高いということは
これまでのご自身の経験を振り返ってみれば明らかだと思います。
 
アインシュタイン相対性理論ではないですが、
好きなことに没頭して時間を忘れた経験はないですか?
努力したつもりでなくても周囲から「すごい」と褒められたことはないですか?
一方で、
少しでも楽をしたい、早く終わりたいと思った経験はないですか?
そのことを考えた時に憂鬱になった経験はないですか?
 
前者と後者、どちらの方がパフォーマンスが高いと思いますか?
パフォーマンスが高いということはすなわち、ビジネスの世界で言えば
より社会に対して価値発揮ができている、ということです。
 
 
企業の競争戦略の第一人者の楠木建さんも、「無努力主義」という言葉で表現されていますが
好きなことに取り組むときは、努力という感覚は皆無なのです。
しかし、周囲からは努力として見られる。
こんな素敵なことはないですよね。
 
話が長くなりましたが、常に今の幸せを追求すべき時代にきたということです。
選択の場面で言えば、判断要素は可能な限り、遠い未来ではなく近い未来からの逆算で考えるべきだと思います。
感覚で言えば、長くて3年、といったところでしょうか。
 
 
ここまで書いてみてまとめるとするならば
・積み上げ思考も逆算は必ずしている
・しかし、その逆算の起点となる未来をできるだけ近い未来にすべき時代になった
といったところですね。
 
目の前の幸せに飛びつくような、ある意味で純粋な生き方を私はしていきたいと思います。
 
 
本日は以上となります。
最後までお読みいただきありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん

vol.10 「私の転職事情について~自分の中の真のWillに忠実に生きる~」

こんにちは!

 
本日は私の転職事情についてご説明しようと思います。
 
私は今転職しようとしています。
厳密に言うと、現在の会社を辞めようと思っています。
 
理由はいくつもありますが、あえてまとめるとすると以下になります。
・自分がよりパフォーマンスの出せるフィールドがあると思った
・別の新しいことをしてみたくなった
・自分の成し遂げたい夢が今の働き方の延長線上にないと思った
 
具体的に説明していきたいと思います。
私は、2016年4月に今の会社に入社しました。
入社理由はいくつもありますが、
・事業内容
・働いている人々
・人と差をつけたかった
などが大きく挙げられると思います。
 
今考えるに、どこかで周囲とは違うということを示したかったのだと思います。
それが証拠に当初は、電通三菱地所サントリーなど
日本を代表するリーディングカンパニーから内定をもらうことを目標にしていました笑
 
ただ、今の会社に出会って「ベンチャーも良いな」と思うようになりました。
ビジネスの世界で差をつける、という目標から考えた時に
大きな会社に行くよりも成長スピードが早いと考えました。
 
そもそも、この「周囲と差をつけたい」という願望は学生時代の経験から身についたものだと思います。
学生時代は部活では常にレギュラー、最上級生になれば必ず主将、部長、代表をやりました。
常に、周囲から賞賛を浴びて生きてきたのです。
だから、社会人になるときも、シンプルに言えば周囲から「すごい」と言われるビジネスマンになりたいと
考えたのだと思います。
 
そうして入社したわけですが、入社してすぐに仕事は苦役に変わりました。
可能であれば沢山休日がほしい
家に帰ってまで仕事のことを考えたくはない
など。
 
おそらく日本人の多くがこの感情を抱いているとは思います。
しかし、私はそんな社会人を変えたかったし、当然自分自身がそうなるとは思ってもみなかったのです。
 
仕事=苦役の構図になってしまった理由は
”賞賛をあびる機会が少なかったから”
これに尽きると思います。
 
入社した理由として、働いている人々を挙げましたが
それは今の会社で働いている人々、および出会った同期が極めて優秀だと感じたからでした。
「自分もこんなビジネスマンになりたい」と思ったのです。
 
ただ、誤算だったのは私はそうした「底辺からのスタート」を経験をしたことが無かったがために
苦しい時期を乗り越える術を身につけていなかったことです。
目に見える成果が出せない中で、自分自身の存在意義にいつの間にか疑問を持つようになりました。
 
同期のがむしゃらさにはビックリしました。
就活生をどれだけ獲得できるかという研修、中小・ベンチャー起業の経営者への営業研修でも
同期はとにかくがむしゃらに、目標達成に向けて努力していました。
恥をしのんで友人に紹介を依頼したり、何度も何度も経営者のもとを訪問して営業をしたり。
私は周囲からの目を気にしていきてきたので、「恥をしのんで」というその行為が
できなかったのです。
 
結果、上から数えれば早いとは言え、中途半端な成果に終わりました。
 
苦手なことをしている以上、そういった苦労・殻を破る経験はつきものだったわけですが
なかなか変えられませんでした。
 
そうして配属された最初の部署は営業の部署でした。
 
お金の無い顧客は、どれだけ困っていようと相手にしない。
数字メインの会話。
何人ものマネージャーからの叱責。
そして、目に見える成果も出ない。
どんどん、モチベーションは下がっていきました。
 
遂には、体調を崩し休職することになります。
大きな原因は当然私にあり、「わからない」というその一言が言えなかったがために全てを抱え込み
苦しみました。
約2ヶ月の休職期間、いろいろなことを考えました。
最初は本当に「俺ってなんのために生きているのだろう」と、死についても考えました。
 
しかし、一度職場をはなれて客観的に事実を見つめ直し
それまで誰にも話せなかった苦しみなども、家族や友人に話すことで
適切に私にも大きな原因があったと捉えられるようになりましたし
素直にもう一度職場でやり直したいと思えるようにもなりました。
 
そうして、満を持して復帰した昨年5月。
営業部署ではなく、社員研修の納品部署に配属になりました。
取り組む業務は圧倒的に、営業よりも自分の得意とするもので
部署創設依頼、最も多くの案件を担当するようにもなり
社内でも表彰されるまでになりました。
 
「休職して本当に良かった」と心の底から思いましたし
初めて「仕事が楽しい」と思えました。
後輩も配属され、チームリーダーとしてマネジメントも行うようになりましたが
やはりそれらも得意とする領域で、後輩の成長を目の当たりにして非常に有意義でした。
 
しかし、後輩も一人前になり、私も新たな業務を担当するようになってきたところで
またモチベーションが下がっていきます。
理由はFBを沢山もらわないと進まないプロジェクトにアサインされたからです。
これは当然、私の根底にある承認欲求とは真逆の性質のものです。
 
FBを恐れるあまり、そのプロジェクトに関しての主体性が失われていき
既存業務にばかり勤しむ日々が続きました。
私はその上司からのFBが苦手でした。
どこか「こんなことも分からないの?」という嘲笑を感じてしまったのです。
 
今思うと、私は脱・同一化すべきでした。
というのも、業務に関して怒られていることが、自分の人格全てを否定されていると解釈してしまっていたのです。
怒られるという経験をしてこなかったからです。
 
上司からは「もっと主体的にやりなさい」
MTGの進め方下手だね」などの叱責をもらいます。
そんな中で、2つの案件で大きなクレームをいただくことになりました。
 
私が原因でもあるのですが、その対応は2ヶ月近く続き
モチベーションはギリギリの状態でした。
2ヶ月なんとかやりきったタイミングで上司から
「やる気あるの?」
と叱責をもらいました。
 
この瞬間、なにか自分の中の糸が切れた気がしました。
自虐が始まったのです。
1日会社を休みました。家から出られなくなったのです。
翌日、なんとか会社に行きその後は、定時退社の徹底や業務量の調整など
配慮をしてもらいました。
そうしてなんとか2017年を終えました。
 
年明けには、年末の体調不良もあり部署が異動になります。
営業の部署です。
私は営業目標の数字は持たず、部署の戦略策定や諸々の営業サポートをする役割になります。
完全に私の特性を見極めた上での配慮です。
周囲からもかなり気を使われました。
 
難しそうな業務は一切担当しなくなりました。
できる業務しか与えられなくなったのです。
それもそのはず。
2回も体調を崩してしまっていては、周囲もそうせざるを得ません。
 
しかし、ここで私の脳裏にある言葉がよぎります。
「俺がしたかったことってこんなことなのか」
 
周囲から気を使われ、資料の作成のサポートや印刷サポートなど
誰でもできるような業務ばかり行う日々。
そして、そんな「できること」から脱しようとしていない自分自身。
全てが嫌になりました。
自分が悪いのに、印刷サポートなど気軽に頼んでくる周囲の人たちに対して
「自分のことしか考えていないんだろうな」と、悲観的に見るようになってしまったり
そうした諸々の理由で、会社に行きたくないという思いが募った時に
簡単に休んでしまう自分。
全てが嫌になりました。
 
休んでしまうのは、確かに精神的な不調もあるのかもしれませんが
頑張れるところで、頑張れない自分がいました。
周囲からは「一度会社を休職しているデリケートなやつ」として見られてしまっているということや
休むことでしか周囲に対して自分の現状をアピールできない自分もいました。
 
本当に自分自身が嫌になりました。
 
「俺がなりたかったのはこんな大人なのか」
と思いました。
 
ある時、楠木建さんの記事で、「無努力主義」という言葉を耳にしました。
ある時、堀江貴文さんの「好きなことだけやれば良い」という記事を目にしました。
色々な本で、「好きなことをやり続けるべき」という内容を見ました。
 
そういった中で、一度「私が死ぬまでにしてみたいこと」と書き出してみたのです。
現状からの積み上げではなく、実現可能性は無視して自分の妄想を書いたのです。
沢山でました。
100個近くでました。
 
「世界を平和にしたい」
「貧困の人々を救いたい」
「会社の経営者になりたい」
「教師になりたい」
 
それらは、私の心からの叫びでした。
 
いつの間にか、自分の心からの思いを押し込めて
周囲のことばかり気にしていた自分に気がつきました。
 
いや、厳密に言えば入社当初は私にもWillがありました。
「この会社で一人前になりたい」という。
しかし、それはいつしか完全に消えていました。
モチベーションは全くない状態で、なんとか毎日をやり過ごす日々。
 
今思い返してみてば、私は自分自身のWillに忠実に従っていきてきました。
そして、それはパワーとなり、成果を出して周囲からの賞賛を得てきました。
時間観は確かに短かったです。
その時間観を長期に伸ばそうと努力していましたが、
パワーがでていないので、成果もでず、成長実感もなくなっていた、というのが現状でした。
 
私は気付きました。
「自分のWillに改めて忠実に生きよう」
そして
「自分のWillが消えてしまったら、別のWillに切り替えよう」
「私は周囲よりも少し短いタイムスパンなのだ」
 
書き出してからそれらのことを考える時にはワクワクするようになりました。
 
いろんなことを考えて、今の職場にい続けることは誰のためにもならないと判断し
上司に「辞めたい」という旨、電話で伝えました。
しかし上司は、「体調が悪いからそうした判断になってしまっているのだろう」と
休職を進めてきました。
確かに、1回目の休職の際にも、一度完全に仕事から離れることで自分を客観視でき
「もう一度ここで頑張ろう」と思うこともできました。
上司の言っていることも一理あります。
私はしっかり考え直したい思いもあったので、休職することになりました。
 
5月からの休職期間、自分一人で考えるよりも
自分のWillに関する知識や、自分の思いを改めて整理したいと思い
沢山の人に会いました。家族や友人、転職エージェント。述べ20名近く。
 
そうして色々は話を聞き、また話をする中で明確になったのは
「今の職場の他に、ワクワクできる場所は無限にある」ということ。
ワクワクできるというのは、つまりパワー・モチベーションが出るという意味です。
 
最終的には、起業したい、という思いが強くなりました。
起業せずに死んだら絶対に後悔するなと思ったのです。
やりたいこともあります。
しかし、そのノウハウが無かったのです。
 
経営に関する知識、共に戦うメンバー、事業の具体的なイメージなど
全てがまだ足りないと感じました。
そして、私自身もこのままいきなり起業は絶対に途方にくれてしまうなと感じました。
 
だから、そうした経営に近い経験をしたいと思い、人数の少ないスタートアップを探すようになりました。
非常に自分自身の納得感もありますし、ワクワクしています。
スタートアップにした理由としては、共に創っていく、という感覚がありそうだというのも大きいです。
大きな会社であれば、やはりどこまでいっても自分には上司がいて、その人からFBをもらう
という構図になると思います。
おそらく私はそれが苦手なのだと思います。
上下の関係ではなく、横の関係で共に成長していく、そんな働き方をしたいです。
 
ちなみに起業したいと思った理由は大きく4つです。
・周囲に差をつけたい
・自分の生きた証をこの世に残したい
・自分の組織を持ちたい
・もっとお金を稼ぎたい
 
昔から変わらない「周囲に差をつけたい」という思いもあれば
今の会社に就職してみて感じた思いもあります。
 
実は起業以外にも、政治家になることや、教師になることも夢として持っています。
ただ、時間軸をもって優先順位をつけた時に、今は起業に向けて歩みたいと思いました。
 
色々と考えて思ったのは、人の考えは常に変化するということです。
今は起業に向けて歩みを進めたいと思っていても、数年後にはどうなるかわかりません。
特にこの時代は、環境の変化も著しくそれに伴い、人々の考えもどんどん変わるようになったと思います。
大切なのは「今」をワクワク生きることだと思います。
それが最もパワーを生むものであり、世の中に最も貢献できるものであり、自分が最も幸せになれる手段だと思います。
 
今は、私はスタートアップへの転職を考ていますが非常にワクワクしています。
常にワクワクし続ける、そんな生き方をして後悔なく死にたいと思います。
 
かなりの長文になりましたが、最期までお読みいただきありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん

vol.9 「セルフモチベーションコントロールについて〜”好きなこと”であることの必要性〜」

こんにちは!

 

本日は、セルフモチベーションコントロールについて書いていきたいと思います。

 

セルフモチベーションコントロールとは、読んで字のごとくですね。

自分自身で、モチベーションをコントロールすることです。

私が以前いた会社では、このスキルは非常に求められました。

つまり、「環境や周囲の人間からモチベーションを高めてもらうことに期待をするな」ということですね。

 

 

ただ私は、上記の論理は会社の都合でしかないとも思うのです。

自分自身でモチベーションを自家発電してくれたら、会社としては有難いですからね。

 

極端に具体的なシーンで言えば、上司に怒られてモチベーションが下がっていた後輩社員がいたとします。

普通であれば、例えばこの後輩社員に対して周囲の社員が声をかけてあげるなどして

サポートやフォローしてあげたりする必要があると思います。

しかし、セルフモチベーションコントロールが是とされる会社であれば、周囲のサポートは不要です。

その後輩社員が、怒られたという事実を自分自身で咀嚼して前進するのみです。

 

確かに会社からすると、セルフモチベーションコントロールスキルに卓越した社員を求めるのは当然ですね。

しかし、社員からするとセルフモチベーションコントールスキルが低いからといって、

必ず高めなければいけないのかと言われれば、そうではないと思うのです。

 

私は、以前いた会社では、自分自身にとって辛い経験があった際には

それを何とか受け止めようと様々な角度から捉えるようにしました。

(私が考えるに、セルフモチベーションコントロールスキルの高い人とはすなわち

一つの事象を多角的に捉えられる人だと思います。)

 

しかし、それはそう簡単ではなくやはりその辛さはなかなか紛れませんでした。

 

ここである疑問が生まれました。

「セルフモチベーションコントロールを無理に行う必要はあるのか」と。

 

 

少し極端に考えてみましょう。

社会人になり会社に入ったとします。

そして、少しでも辛いなと感じた時にそこから逃げてみる(退社) とします。

 

忍耐力は培われないでしょう。

感覚的には、いくつもの会社を転々としそうですね。

私も、少し思い当たる知人がいます。

では、この生き方は悪いものなのでしょうか。

 

私はそうは思いません。

どこまでも純粋に、”自分自身の幸せ”を追求している何よりの証拠だと思います。

 

 

おそらくこれが是とされないのは、日本的な”周囲への配慮”を良しとする風潮も影響していると考えます。

先の例で言えば、すぐに会社を辞めてしまうというのは、会社に対して迷惑をかけているとも考えられます。

 

ただ、私はセルフモチベーションコントロールスキルなどと言っている時点で

それはあなたにとって苦行になっている、とも言えると思うのです。

大好きなことをやっている時には、少し怒られたとしても「なにくそ」と思って頑張れていたと思うのです。

それが、真に好きでないことなどに直面した際に、スキルとしてセルフモチベーションコントロールが出現するのです。

 

 

ここまでを簡単にまとめると

・大好きなことをしている時には、セルフモチベーションコントロールなど無意識のうちに行っている

=大好きでないことをしている時には、セルフモチベーションコントロールを意識的に行わねばならない

(そして、この”意識的に行う”ということは、人によってはかなりパワーが必要)

・セルフモチベーションコントロールができる人間は、組織からすると有難い存在

=セルフモチベーションコントールスキルはあくまでも、組織視点から見た時に必要なだけであり、自分視点ではない

 

ですから、私の意見は

 「大好きなことに取り組むことが、何よりのセルフモチベーションコントロールにつながる」

 というものになります。

 

ただ、セルフモチベーションコントールを意識的に全く行わない=忍耐力がない人

というのは、組織からするとかなり手間のかかる人間であり、いついなくなってしまうか分からないので

採用しにくい、というのも当然の事実です。

また、忍耐した先に見えてくるものがある、というのも確かだと私は思います。

自分には無い新たな視点をもらえることもあります。

 

それでも全く問題無い、のであれば一切セルフモチベーションコントロールはしなくて良いでしょうし

少しでも忍耐すべきだと感じたのであれば、セルフモチベーションコントロールに取り組んでみても良いと思います。

 

 

ここまで書いてみて、セルフモチベーションコントロールスキルと継続力には

強い関係があるような気がしてきました。

 

=================================================

継続力

=その取り組みのそもそもの”好き”度合い(先天的/感覚的/無意識 )

 ×セルフモチベーションコントロールスキル(後天的/論理的/意識的)

=================================================

 

セルフモチベーションコントロールスキルが極端に高いと

そもそも、その取り組みを”好き”だと自分をコントロールすることも可能かもしれませんね笑

ただやはり、「そもそも好きかどうか」は大きな影響力を持つと思います。

 

また、書いてみてさらに関係性がありそうだなと感じたのは、

セルフモチベーションコントロールと”選択肢”です。

例えば、沢山のスキルがあり、沢山の就職先がある人物だとします。

そうなれば、無理に物事に意味付けしたり、苦しいことに耐える気力は

相対的には少ないと思います。

なぜなら、「もっと気力を使わずに働ける会社があるだろう」と考えるからです。

要は、もっと良い会社、ということですね。

 

ですから、組織側からすれば他の会社の選択肢とは一線を画すような魅力づけをし続ける必要がありますし

個人側からすれば、自分の価値を高めて沢山の選択肢を持っておくことが必要ですね。

 

 

とりとめも無い文章になってしまいましたが、要は

===================================================================================

①そもそも好きなことであれば、意識的なセルフモチベーションコントロールなど不要

②ゆえに、他者を考えず真に自分自身の幸せのみを追求するのであれば、意識的なセルフモチベーションコントロールなど不要

③ただセルフモチベーションコントロールスキルが高ければ、組織からは重宝される

④組織は個人が持つ沢山の選択肢とは一線を画すような魅力づけをし続け無いと、選ばれなくなる

===================================================================================

ということです。

 

やはり、私たちは「好きなことで生きていく」のが大切ですね。

(これも確証バイアスに陥っているのでしょうね笑)

 

本日は以上となります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

たっこん

vol.8 「死ぬまで意識し続けたい考え方〜真の柔軟性とは〜」

こんにちは!

 
本日は、私が決めた”生きていく上で意識し続けたい考え方”について書きたいと思います。
 
 
私は、2018年5月12日に、以下の3つの考え方を心に留めて生きていこうと決めました。
 
============================================================
①人間は皆違う、ということ
②それゆえ、万人にとって共通の正解など存在しない、ということ
③自分の解釈を入れずに、他人の言動をその思考スキームごと受け入れる、ということ
============================================================
 
それぞれ具体的に説明していきたいと思います。
 
 
①、②については世の中の絶対的な原理原則であると考えています。
絶対的な原理原則で言えば、他には例えば
・地球には重力が存在している
・過去には戻ることができない
・心臓が止まれば死んでしまう
など数多ありますが、これらはただただ受け止めるしかないものです。
言い換えれば、この原理原則に関して悩むのは、時間の無駄です。
 
セルフモチベーションコントロールで最も重要なのは、
”変えられるもの”と”変えられないもの”を切り分け、”変えられるもの”に注力することです。
私は、セルフモチベーションコントロールの観点からも
原理原則である①および②を常に意識していきたいと思います。
 
 
重要なのは③です。
これは、絶対的な原理原則でもなく、私が生きていく上で意識したいポイントです。
 
いきなり話が飛びますが、私は”後悔なく”死にたいと思っています。
(まぁ当然のことですね笑)
 
ここで言う「後悔」とは、目指したい姿・理想に対して
行動を起こさなかったことの「後悔」を指します。
 
私の目指したい姿・理想は、
一人でも多くの人を幸せにできる状態
一人でも多くの人から認められる状態
です。
 
冒頭、「万人にとって共通の正解など存在しない」と記載をしましたが、
とは言っても、私は少しでも多くの人から認められたいと思っています。
これは私の性格の話であり、逆風の中にい続けることは私にとってはかなり苦しいことです。
 
とは言え、その理想の状態に向けて、例えば自分で世の中を導くとすると、
その際には多くの反対意見者が現れると思います。
なぜなら、”導く”という行為は、訪れたことのない境地へ誘うということであり、
誰もそれに関する情報を持っておらず、それぞれの解釈で判断をするからです。
 
この逆風に対して、私は自分で導くことが多くの人を幸せにすると確信できているのであれば
数年だったら耐えられると思います。
(非常に感覚的な話ですが)
これが、「 数十年かけて世の中に啓蒙していく」となると私は挫折してしまうと思います。
沢山の人から承認・賞賛されて生きてきたので、逆風慣れしていないのです。
 
話が少し逸れてしまいましたが、繰り替えすと
私の目指したい姿・理想は、
一人でも多くの人を幸せにできる状態
一人でも多くの人から認められる状態
なのです。
 
そして、その状態に向けてできる限りのことをしていきたいと思っています。
なぜなら先述したように、「後悔」したくないからです。
 
では、具体的にどんなことをしていきたいかと言われれば、それは
・情報を収集し続けること(インプット)
・収集した情報をもとにトライし続けること(アウトプット)
の2つです。
 
当たり前と言われれば、当たり前ですが大切なのは
この”情報収集”の際に、自分の解釈を入れないということです。
ようやく、③に戻ってきましたね笑
 
人間は、インプットする際にどうしても自分自身の思考スキームで捉えてしまいます。
具体的に言えば
「⚪︎⚪︎さんの意見は、きれいごとだ」といった判断などは
その理由や背景を理解するなら別ですが、その理解が無ければ
自分の中にある思考スキームで勝手に”判断”をしてしまっていることになります。
 
これは非常に危険なことで、このパラダイムに気づかないと
いつまでも自分をアップデートすることができず、確証バイアスによる情報収集ばかりになります。
結果的には、それは自分よがりな考え方をもった自分を形成することになるのです。
 
そうではなく、あらゆる意見を自分の解釈を挟まず、その思考スキームから受容することが
真の情報収集であり、真の柔軟性と呼べると思うのです。
そうしてフラットに得た沢山の情報から、判断し行動できる人間が
最終的には周囲に好影響を及ぼし、周囲から認められる存在になると思うのです。
 
 
長くなりました、私自身がどう生きたいか、どう死にたいかといった
究極的なゴールから逆算した時に、意識し続けたい考え方についてご紹介しました。
 
是非、皆さんも自分自身が意識し続けたい大前提や考え方があれば
共有してくださると嬉しいです。
 
最後までお読みいただきましてありがとうございました!
 
 
 
 
たっこん