vol.5 「”そこそこ”のお金があれば幸せになれる〜マズローの欲求階層説から考える〜」

こんにちは!
 
本日は、”お金と幸福”について書きたいと思います。
 
結論から言ってしまえば、私は”そこそこ”のお金があれば人生は幸せなものになると思います。
ここで言う”そこそこ”とは、下記2点を指します。
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①生活するのに不自由しない
②欲しいものが常に手に入るわけではない
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マズローの欲求階層説にならって考えると
①は生理的欲求および安全の欲求という物質的欲求が満たされている状態を指します
②については精神的欲求が満たされていることもあれば、満たされないこともある状態を指します。
 
①については言わずもがな、という感じかもしれません。
私は特に②を主張したいと思います。
「なんでも手に入る方が幸せじゃないか」という意見が聞こえてきそうですので
私が②を考えるようになった理由について以下に書きたいと思います。
 
 
私はある時、ある理由から数百万円というお金を手にしたことがありました。
その時には、私もここぞとばかりに高い物を買ったり、美味しいご飯を食べたり、行きたかった場所に行ったりしました。
沢山の願望が次々に実現し、幸せでした。それは間違いありません。
 
ただ、ある時ふと気付いたのは
お金が沢山ある状態で買う5万円の靴と
お金が沢山はない状態で意を決して買う5万円の靴では
買った時の喜び、その物への愛着等は後者の方がずっと大きかったということです。
 
シンプルに言ってしまえば、お金が無かった時の方が”幸福の総量”が大きかったように思うのです。
 
これは、生活レベルから考えた時にその出費がそれを大きく上回る時に
人間は大きな幸せを得られる、という性質があるからだと考えます。
つまり、生活レベルが低い人ほど、少しのことでも幸せを感じられるということになります。
 
ただ、これが先述した物質的欲求が満たされないほどの生活レベルまでいってしまうと
痛みや苦しみが大きく表出してしまうと思います。
だから、物質的欲求を満たすことは非常に重要です。
※余談ですが、私はいつか将来、物質的欲求の満たされていない貧困に苦しむ人々を助けたいという思いがあります。
 
 
また別の角度から考えてみます。
私には
・誰からも好かれたい
・誰の気持ちでも理解できる人間になりたい
という欲求が強くあります。
 
大金持ちになってしまえば、少しのことでは満足できなくなるのは当然のことで
例えば、いつも数万円のコース料理をいただくような生活に慣れてしまえば
 一杯300円の牛丼を美味しいと感じることも難しくなってしまうでしょう。
 
牛丼は極端な例ですが、”多くの人が幸せと感じることが、幸せだと感じられない”という人が
万人から好かれるとは思えませんし、万人の気持ちを理解できるわけがないです。
私はその状態が嫌ですし、怖いです。
 
以前、ある大金持ちの人のセミナーに行ったことがあります。
結果それは、ネットワークビジネスに関するセミナーだったのですが
その大金持ちの人は、「貧乏人からの批判や冷たい視線が私の何よりのエネルギーだ」という旨の話をしていました。
 
その人からしたら、周囲との関係性や周囲からの目線などは関係ないのでしょうが
私はそこは無視できないのです。
 
「沢山の人に囲まれて惜しまれながら死にたい」というのが、私の究極の願望です。
これは、父がまさしくそういった人であったために、小さい頃からの私の夢です。
私は大金持ちになると、庶民の考え方が・気持ちが理解できなくなってしまうと考えているので
大金持ちになる必要はないと感じています。
 
 
以上、まとめると
・大金持ちになる(生活レベルが上がる)と、幸福の総量が減る
・大金持ちになる(生活レベルが上がる)と、万人の気持ちが理解できなくなる
という、そもそもの人間観と、私個人のありたい姿から考えた時に
”そこそこ”のお金があれば十分だと思いました。
 
 
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
 
 
 
 
 
たっこん